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夢のなかの小径

夢 いのちの洗濯

ジグムント・フロイトが夢を「発見」するはるか以前、日本の僧が生涯にわたって夢を記録していたと知ったのは、河合隼雄さんの著作からだ。

明恵上人という鎌倉時代前期を生きた華厳宗の僧侶で、厳しくも非常にユニークな人生を送った方のようだ。『夢記』というそのものズバリの著作を残しているが、夢といってもぼくのような惰眠から生まれた夢ではなく、修行の産物としての夢であり、夢という自分ではなかなかコントロールできない世界をも、修行者としての強い意志で洗い清めようとしていたのかもしれない。

しかしためにし河合さんの本を読んでみると、『夢記』に残された夢の記録は、ぼくたちがめざめたときに印象深く思い出す、奇妙でみずみずしい映像ストーリーと少しも変わらない。

五井先生は夢をどうおっしゃっているのかというと、人間が日常生活のなかで行う想念行為の汚れを、眠っている間はあちらの世界へ帰って、洗い清めてもらっているのだ、ということだ。いのちの洗濯とでも言ったらいいのか。

だから悪い夢、怖い夢、気にかかる予知夢みたいなものも、消してもらっているのだから、気にしたり、気に病むことはない、という。

これは中沢新一さんの本にあったことだと思うが、チベット仏教では修行を重ねていくと、夢も光一色になって他に何も見ないそうだ。

なんだかつまらないなぁ、とぼくは思った。

夢に関して、ぼくはとりわけ興味を持っていることがある。それは「影」という概念である。次回は、ぼくが夢のなかで遭遇した「影」について書いてみようと思う。

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by ourfolks | 2018-09-23 01:01

夢のような話の世界に誘う語り
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